-黒田福美エッセイ- 美食浪漫

第19回 連載 【美食浪漫】 葛 謎の黒い水とは?

屋台で搾り出される真っ黒な汁は男性に大人気

美食浪漫 写真 1980年代のソウルは今のように近代的なビル街ばかりではなく、庶民の行き交う雑踏と屋台があちらこちらにありました。
ある日、ソウル中心部の鐘路(チョンノ)を歩いていると、道ばたの屋台で木片をのこぎりで切り分け、万力で締め上げている光景を目にしました。
いったい何をしているのかと立ち止まって見ていると、その木片からは真っ黒な汁がしたたり落ち、それを紙コップで受けています。すると不意に人混みのなかから男性が屋台に近づき、得体の知れないその黒い汁に500W(約37円)を払って一気に飲み干しました。何事かと怪訝(けげん)に思いながら様子を見ていたら、またしても別の男性がその汁を買ってグイと飲み干していきます。私はたまらなくなって屋台に歩み寄り、おじさんに尋ねました。
「それは何ですか?」
「これは胃腸にいいんだよ。二日酔いのときに飲めば胃がすっきりするのさ」
理解できずに私が目を丸くして呆然と突っ立っているので、おじさんはその木片を小さく切って私に差し出しました。
「これを噛んでごらん」と手ぶりを交えてしきりに言います。
私は言われるとおり、恐る恐るそれを口に入れて噛んでみました。
「甘いだろう?」とおじさん。
「甘くはありません。苦いですよ。」
「ずっと噛んでいると、だんだん甘くなるよ」
私は必死で噛み続けました。杉の木などよりは柔らかくサクサクとしていますが、この木片にはそうした歯触りもなく、ただの木切れように思えてなりません。
「全然甘くなりませんよ」
苦笑いするおじさんを前に、私は口のなかの木片をもてあましてしまいました。
では汁のほうはどんな味だろうと、私も一杯いただいてみました。少しとろみのある黒い汁はやっぱりほろ苦く、とてもすっきりとは言えない味です。私はとりあえず屋台に書いてあったハングルをメモすると、その場からそそくさと退散しました。

胃腸を整える薬効が期待される葛の根

看板の文字は「」。辞書を引いてみると、それは「葛」でした。まるで木材にしか見えなかったものは、葛の根なのだとわかりました。
葛の根はでんぷんを含んでいるので甘みを感じるのはうなずけます。日本でも葛の根は葛粉として葛湯や葛切りなどに用いられていますし、漢方にも利用されていますから、薬効も期待できるのでしょう。

葛汁は冷麺に練り込まれ、「葛冷麺()」として販売されるようになりました。葛汁のせいで麺は黒褐色ですが、苦みはほとんど感じません。葛冷麺は「どうせ食べるなら体に良いものを」という韓国人の健康志向に合ったようで、その後はヤーコン、桑の葉、緑茶など、健康効果が期待されるさまざまなものが練り込まれた冷麺が登場しています。

美食浪漫 写真 現在、葛汁はレトルトパックなど飲みやすい状態で販売されており、健康指向の高い人々に愛飲されています。それでも、市場などに行けば昔ながらの「葛汁生絞りの屋台」を今も見かけることができます。 
旅に出ると、ついあれやこれやと食べてしまい、胃腸に負担をかけることも多いはず。もし市場でこの葛汁に出合ったら、ぜひ試してみてはいかがでしょう。

次回更新は7月1日を予定しております。

筆者プロフィール

黒田 福美 (くろだ ふくみ) 女優・エッセイスト
 東京都出身。 映画・テレビドラマなどで俳優として活躍する一方、芸能界きっての韓国通として知られる。テレビコメンテーターや日韓関連のイベントにも数多く出演、講演活動なども活発におこなっている。韓国観光名誉広報大使、日韓交流おまつり2009InTokyo実行委員も務め、著書に『ソウルマイハート』『ソウルの達人 最新版』(講談社)などがある。韓国地方の魅力を紹介したDVD『Ryu・黒田福美が行く韓国四季の旅』も好評発売中。09年は『ビバリーヒルズチワワ(吹き替え)』(Disney)、『ゼロの焦点』(東宝)に出演。
黒田福美ブログ http://ameblo.jp/kuroda-fukumi/
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