-黒田福美エッセイ- 美食浪漫

第9回連載 【美食浪漫】 オデン 冬の屋台になくてはならないもの

練炭の匂いに満ちた1980年代のソウルは、屋台の温かさが身にしみました。

前回に引き続き、1980年代のソウルについてお話してみたいと思います。
当時のソウルは、安普請(やすぶしん)の建物が連なる寒々しい街並みで、巨大なビルが建ち並ぶ今とはまるで風景が異なりました。街並みにも味わいがあり、風情があったと懐かしく思い出されます。そんなソウルの景色の中で、「韓国の素顔を伝えたい」と一人奔走していた頃の自分がいたわけで、今でも思い出すと郷愁を感じます。

80年代の冬のソウルは、街の隅々に練炭の匂いが満ちていました。その頃の日本では、練炭を燃料として使うことがあまりなかったので、ことさら印象的だったのかもしれません。
今では高層マンションのオンドル(床暖房)もすべてガスボイラーで管理されていますが、当時の一般家庭では、練炭でオンドルを温めていました。屋外に小さな焚き口があり、そこに練炭を仕込んで燃やすのです。家の軒下には黒々とした練炭が何十と積み上げられ、練炭を配達する人たちやオンドルの煙突を掃除する人たちが行き交っていました。

また、道端にはポジャンマチャ(包装馬車)といわれる屋台がずらりと連なり、学生やサラリーマンが空腹を満たし、焼酎をあおるには手頃なところとなっていました。ちょうど博多あたりの屋台街を思い浮かべるといいでしょう。
屋台には木製の床机(しょうぎ)のような椅子がぐるりと並び、夏は露天で楽しみます。冬になると、寒さを防ぐビニールシートで屋台をすっぽり覆うため、包装馬車と呼ばれるようになったわけです。

今では屋台でもプロパンガスが使われていますが、当時の調理用の七輪は熱源が練炭でした。屋台のシートをめくって中に入ると、目に染みるよどんだ空気と練炭の匂いが鼻をついたものです。アジュマ(おばさん)が一人で切り盛りしているわりにはメニューが多く、サンナクチ(テナガダコ)のぶつ切りや焼きはまぐり、砂肝や鶏の足といった多彩な食材がガラスケースに並んでいました。
そして七輪には、必ず「オデン」の入った大鍋がかかっていたのです。

魚の練りもの「オデン」とそのスープで心も身体もしみじみ温まります。

オデンといっても、日本のそれとは異なり、はんぺんやこんにゃくなどさまざまな具材が入っているわけではありません。油揚げを縦半分に切ったような薄い魚の練りものが、オデンなのです。七輪にかかった大鍋に、それがスープに浮かんで熱くたぎっていました。
オデンは日本から伝わったもので、韓国語でもそのまま「オデン()」と発音します。冬の屋台でお椀に注がれた温かいオデンのスープをすすると、身も心もほぐれました。

美食浪漫 写真 オデンは、台湾でも出合ったことがあります。台湾では「オレン」と発音していました。いずれも日本の植民地時代に渡ったものなのでしょう。
かまぼこや薩摩揚げのような練りものは韓国になく、日本独自の一品なのかもしれません。それが韓国の汁もの文化と融合して受け入れられていったのではないでしょうか。

寒い冬の屋台に座ると、何もいわなくてもアジュマはオデンのスープを出してくれます。スープがなくなると、アジュマは黙って温かいスープを継ぎ足してくれるのです。お金のない学生たちは、スープを肴にいつまでも酒を飲み続けていました。
じんわりと心が温まってくるような、アジュマの情と(オデンスープ)。

冷えた身体に温かいオデンスープが染みわたり、練炭の匂いと裸電球の黄色い灯りのもとで、寒い夜は更けていったのです。

次回更新は2月1日を予定しております。

筆者プロフィール

黒田 福美 (くろだ ふくみ) 女優・エッセイスト
 東京都出身。 映画・テレビドラマなどで俳優として活躍する一方、芸能界きっての韓国通として知られる。テレビコメンテーターや日韓関連のイベントにも数多く出演、講演活動なども活発におこなっている。韓国観光名誉広報大使、日韓交流おまつり2009InTokyo実行委員も務め、著書に『ソウルマイハート』『ソウルの達人 最新版』(講談社)などがある。韓国地方の魅力を紹介したDVD『Ryu・黒田福美が行く韓国四季の旅』も好評発売中。09年は『ビバリーヒルズチワワ(吹き替え)』(Disney)、『ゼロの焦点』(東宝)に出演。
黒田福美ブログ http://ameblo.jp/kuroda-fukumi/
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