韓藍異聞

2012年05月21日 酒

人類学の現地調査に酒は必要不可欠のもののように言う人がいました。たしかに酒を酌み交わせば親しくなるように思いますが、酒が入ったために思いもよらぬことに出会うこともあります。時には、酒が飲めなければどれほど楽だったろうかと思います。
異邦人がたった一人村に入り込めば、勝手が分からないのでどうしても萎縮して受身になりがちです。もともと表現がストレートなのに加えて、酒が入ると村の人たちはますます声が大きくなり、圧倒されます。相手は年長者だし、親しみの表現とは分かっていても時には強引すぎるのです。

最初の大きな試練は村の結婚式の晩でした。庭の焚き火を囲んで、楽器を繰り出して踊っては休み、すると筵の上に膳が出されマッコリが振る舞われます。また踊りだしては再び膳が出されるという具合で、果てしなく続きました。若者の中には、少し年長なのをよいことに、言葉巧みに「東方礼儀之国……云々」と言って盃を受けろというのです。盃を受けなければ礼儀を失すると言わんばかりです。おかげで二日酔いどころか三日酔いを患うことになり、その時の傷が、後々まで健康診断の度にアルコール性の肝機能障害とカルテに記入されるはめとなりました。村では誰がそんなに酒を無理強いしたのかと、長老たちが若者を叱りつけたと聞きます。しかし張本人の一人は、あれだけ強要しておきながら「酒は断ることを知らなければいけない」などと言うのです。何度目の滞在からか、私はその家に世話になることになりましたから、それも酒の効用だったかもしれません。
その頃の村人はともかく酒をよく飲み、朝でも路地で出会うと挨拶のようにマッコリに誘ったりするのです。田植えの頃には朝からろれつが回らない人もいたし、田んぼの畔から手招きで酒に誘ったものです。

その頃の韓国では、酒に酔った末の喧嘩をよく見かけたものですが、村ではいくら酒を飲んでも喧嘩になることはあまりなかったようです。と言っても私が三度目の長期滞在をした時、一度だけ大げんかに遭遇しました。葬式の晩、よりによって私が居候していた家の主人で、かつて私に酒を無理強いした彼が、どういうわけかその日は酔って狂乱状態となりました。相手は屈強な若者ですが、私と同年齢(同甲)の仲です。誰も止めようがなくなり、私が駆けつけた時は、殺すの何のと大変不穏な状態でした。村の人たちは、最後の望みを私に託しているようでした。二人の間に割って入り、阿修羅のような彼に向かって、私が必死で「ヒョンニム(兄さん)!」と声をかけました。すると、まるで魔法が解けたように、みるみる彼の全身から力が抜けてゆき、正気に戻ったのです。村の長老たちもほっとしたようで、手を取って感謝されました。「ヒョンニム!」、それまで一度も口にしたことのない言葉ですが、これほど効果のある呪文だとは知りませんでした。それ以来、私は今も彼を「ヒョンニム」と呼んでいます。

もう一度は辛い思い出です。ある日、村の年長者の一人がやはり酒に酔って狂乱状態になり、どういうわけか突然、「日本人は俺が許さない、殺してやる」と叫びだして、抑えが効かなくなりました。若者と違って年長者がそのようになると、年寄りの制止も効かなくなるので大変です。まさかとは思いましたが、本当に暴れはじめて多少身の危険も感じたため、私もこの時ばかりはその場を離れるのが良いと判断しました。
しかし、村の人たちの注目する中、私が傷ついた様に見られるのは、その老人にとっても村にとっても具合が悪いし、村から出るのも人目に止まります。私は、トイレに行くフリをして家の裏に回り、そのまま裏山に逃れて岩陰に身を隠し、騒ぎが収まるのを待つよりほかありませんでした。あたりが真っ暗になり、ようやく村が静まったのを見計らって、山から降りてさりげなく家に帰ると、「ヒョンニム」は心配して夕食も採らずに私を待っていました。ヒョンニムに慰められると、涙がご飯の上にポトポト落ちるのを見た奥さんから、「食事をなさい(シクサハシオ)」と励まされました。

プロフィール

写真:伊藤亜人(いとう・あびと)伊藤亜人(いとう・あびと)
1943年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科、同大学院社会学研究科修士を修了。70年より東大教養学部助手。その後、ハーバード大学客員研究員、東京大学助教授を経て、ロンドン大学SOAS上級研究員、ソウル大学招聘教授、東大大学院総合文化研究科教授。現在、早稲田大学アジア研究機構教授。71年から、韓国を中心に東アジア諸地域の調査研究に従事。済州島、全羅南道の珍島、慶尚北道の安東、ソウルにおいて親族組織、信仰と儀礼、契などの相互扶助組織、農村振興とセマウル運動、儒教と教育、歴史認識、都市移住、祝祭の創造と地域活性化などの研究を行う。医療人類学、都市人類学、開発人類学などの応用人類学ないし実践的な研究のほか、市民参加による「よさこい祭り」と地域活性化にも関与している。著書多数。
韓藍(からあい)とは
『韓藍異聞』の韓藍(からあい)は、朝鮮半島の古称。韓藍のほかにも韓紅(からくれない)という呼び名もありました。
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