韓藍異聞

2011年08月25日 珍島への誘い

人類学という学問では、どこかの村に居を据えて、地元の人と生活を共にしながら、じっくり現地調査をするのが基本とされ、そうしたフィールド経験が人類学者になるための通過儀礼のように考えられてきた。しかし、東南アジアやオセアニアの島のように、日本とはかけ離れた異文化の中に一人身を置いて、エキゾチックな生活を夢見る人類学徒は多くても、韓国のような東アジアの文明社会を対象とする人類学の研究は、日本ではその頃まであまり例がなかった。また、住み込む村を選ぶ際にも、普通は現地の大学で知り合った学生や先生から、知人や親戚の故郷などを紹介してもらうことが多いようだ。

しかし私の場合、そうした頼れる知人も特にいないため、自分で切り開かなければならないと思っていた。語学などは現地で生活すれば自然に身に着くと軽く考えていたが、短期間でもきちんとした訓練を受けた方が良いと勧められた。ソウルの生活は楽しかったし、タルトンネの生活は貴重な体験となったが、早く調査地を決めて住み込まなければという焦りがつきまとった。ともかくソウルの喧騒から離れたところに早く住んでみたい。民俗的な伝統が息づいているところが楽しそうだ。気候も温暖な南の方が良い。しかし済州島は少し単調に感じられたし、離島はどこも何らかの特殊な環境にあるので避けたい。そう考えると、本土の南部地方あるいは本土に近い所に限られる。しかし、地図を広げて想像をめぐらせても、現地のイメージが湧かない。そんな、ソウルでの語学研修が1カ月たった頃、地方の農村を訪れるまたとないチャンスがやってきた。

ソウル大学の李杜鉉先生が、国立音楽大の内田るり子先生を案内して全羅南道の珍島を訪れることになり、お誘いを受けた。光州から全南大学の池春相教授も合流するという。南の農村を見ておく絶好の機会だ。声楽家だった内田先生はウイーンに留学後、民族音楽学の研究で知られ、日本の田植唄について著書があった。今回は韓国の田植唄(トゥルロレー)の中でも、山陰地方の花田植によく似たものを現地で実際に見てみたいと希望し、それに李先生が応えたのだった。

光州から海南を経て木浦の港から巡航船に乗り込んだ。甲板から初めて見渡す珍島は、海の中に形の良い山々が広がり、沖縄の大海原に八重山が姿を現した時の感動がよみがえった。本土のはげ山や岩肌のごつごつした大ぶりな山とは違って、こんもりとした緑豊かな山が連なる。その麓に姿を現す集落は、藁ぶき屋根が山や田畑に溶け込むように身を寄せていて、まるで茸の群れのようだ。
珍島は韓国でも4番目に大きな島で、島の中央に位置する邑内からは海もまったく見えず、離島という雰囲気は感じられない。郡庁の所在地である邑はかつて城壁で囲まれていたが、100年ぐらい前に近代化の障害と見なされて取り除かれ、今ではごく一部に残っているにすぎない。かつての南大門から郡衙に向かう大路が今では広場のようになっている。

珍島の郡庁公報室では、ソウルから文化財専門委員の李先生を迎えて、村の人たちを動員して田植をする手はずまですっかり整えていた。村の人たちが楽器と唄の合わせて実際に田植をする光景を目の当たりにし、私もズボンをまくって田んぼに入って写真を撮った。その時、先生方に紹介された楽器や唄の名手は、まもなく無形文化財の保有者(人間国宝)に指定され、やがてソウルの店にCDまで並ぶようになった。
この島は民俗文化ばかりでなく、伝統的な書画の世界でも特別な地であり、多くの画家や書家を輩出してきたことで知られる。どこの食堂やタバンにも書画が掲げられ、私たちが投宿した旅館でも、画家が部屋を借りて画室としており、客人の目の前で制作するのを目にした。書はともかくとして、画家の家庭で育った私は、珍島のそうした芸術的な雰囲気にも引かれた。こうして私は、いとも簡単にこの南の島に魅せられ、茸の群れのような農村に住みこもうと心に決めた。

プロフィール

写真:伊藤亜人(いとう・あびと)伊藤亜人(いとう・あびと)
1943年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科、同大学院社会学研究科修士を修了。70年より東大教養学部助手。その後、ハーバード大学客員研究員、東京大学助教授を経て、ロンドン大学SOAS上級研究員、ソウル大学招聘教授、東大大学院総合文化研究科教授。現在、早稲田大学アジア研究機構教授。71年から、韓国を中心に東アジア諸地域の調査研究に従事。済州島、全羅南道の珍島、慶尚北道の安東、ソウルにおいて親族組織、信仰と儀礼、契などの相互扶助組織、農村振興とセマウル運動、儒教と教育、歴史認識、都市移住、祝祭の創造と地域活性化などの研究を行う。医療人類学、都市人類学、開発人類学などの応用人類学ないし実践的な研究のほか、市民参加による「よさこい祭り」と地域活性化にも関与している。著書多数。
韓藍(からあい)とは
『韓藍異聞』の韓藍(からあい)は、朝鮮半島の古称。韓藍のほかにも韓紅(からくれない)という呼び名もありました。
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