韓藍異聞

2011年08月01日 ソウルの巫俗

1972年当時は、ソウル市内でもムーダン(巫女)の儀礼(クッ)があちこちで見られました。日曜や日どりがよければ、少し郊外に脚を伸ばすと必ずといってよいほどクッの楽器の音が聞こえてきたものです。下宿近くにもムーダンの家があって、日曜には朝からチャンゴや銅鑼の音が地面を伝わるように聞こえてくると、私も上がり込んで見物をしたものです。

張籌根先生に案内されて以来、仁旺山の中腹にある国師堂には何度も出かけてクッを見物しました。三角山や北漢山の麓、仁旺山と向き合う鞍山の中麓にも巫女の儀礼を行う御堂がいくつかあって、いつでもクッが見られました。儀礼の最後に神霊の来歴(パリ公主のボンプリ)を語る場面にも出会いました。かつて京城帝大の赤松智城・秋葉隆教授たちが「生きた神話」として注目したものに出会ったわけですから、感動もひとしおでした。現代でもこうしたボンプリをいくらでも聞くことができるものと思ってしまいましたが、その後は二度とそういう機会に恵まれませんでした。その時の録音が、崔吉城教授によれば意外にも貴重な資料であることが分かり、その存在が論文の中で紹介されました。それから30年近く経って、たまたま東大に留学していた若い研究者が私を尋ねて来られ、そのテープを活字に起こして紹介してくれました。

当時の韓国のインテリたちは概して巫俗に対して否定的ないしは無関心でした。ですから若い男を目にすると、巫女たちや顧客たちも取り締りに来たのではと緊張したものです。私が一心に見取れているのを見ると、皆少し安心するのでした。顔なじみの巫女ができると、一緒に食事に与かったり昼からマッコリを飲んだりしました。当時はセマウル運動のもとで迷信打破が合言葉となっていたため、文化財保護の仕事をされていた張籌根先生は巫俗にとって守護神のような存在でした。

ある日、私を取り巻くように、日本にも巫女はいるのか、どんな楽器を使うのか、舞いも舞うのかと話題が弾んでいると、巫女を引退した70過ぎの女性が、日本人は昔から我が国の伝統文化に理解があって、研究のために尋ねて来たものだと言います。この方が現役の巫女だったのは当然解放以前のことですから、その頃この巫女が出会ったのは、京城帝大の日本人教授だったに違いありません。この老巫女は、秋葉教授の弟子の泉靖一先生のさらに弟子、つまり孫弟子の私に再び出会ったことになります。確かに日本人は巫俗に魅せられるようです。そういう私の家でも、宮城県の登米で祖父の初盆に、この地方の巫女(おかみんさん)を招いて口寄せをしたことがあります。

ソウル石串洞に有名な巫女の家があって、時折自宅で大きなクッを行うことがありました。ある日、山神に扮した巫女が素足で刃に上に立つ緊張した場面で、女性たちが取り囲んで手を擦って祈っている時でした。突然巫女が山神の託宣をはじめたのです。いきなり私に向かって「そこの写真機を手にした両班ニム、来年3、4月には良いことがあろうぞ」と告げられました。あわてて私も手を擦って祈りました。翌年のその頃、助手の任期が切れて宙ぶらりとなるところ、首尾よく東洋文化研究所にポストを得ることができたのは、あのときの託宣のおかげだったように思います。
実際には、1月半ばに東京に戻って、その足で本郷の東大に立ち寄ると、みぞれのような雨でした。寒いし疲れているのでもう帰ろうと思いながら、赤門のところで思い直して、重い足を引きずり東洋文化研究所の中根千枝先生を尋ねてみたのです。運よく先生はいらして、ちょうど良い所に来たといって、4月から研究所に来るように誘われたのです。先生は、実は今日が応募の締め切り日だけどと言って時計を見ながら、電話で荒松雄所長を部屋に呼び寄せました。そして所長に向かって「書類はないけれど私が保証するし、本人がここに居るのだから間違いないでしょ」とか言って認めてもらい、書類は後で出したのでした。

プロフィール

写真:伊藤亜人(いとう・あびと)伊藤亜人(いとう・あびと)
1943年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科、同大学院社会学研究科修士を修了。70年より東大教養学部助手。その後、ハーバード大学客員研究員、東京大学助教授を経て、ロンドン大学SOAS上級研究員、ソウル大学招聘教授、東大大学院総合文化研究科教授。現在、早稲田大学アジア研究機構教授。71年から、韓国を中心に東アジア諸地域の調査研究に従事。済州島、全羅南道の珍島、慶尚北道の安東、ソウルにおいて親族組織、信仰と儀礼、契などの相互扶助組織、農村振興とセマウル運動、儒教と教育、歴史認識、都市移住、祝祭の創造と地域活性化などの研究を行う。医療人類学、都市人類学、開発人類学などの応用人類学ないし実践的な研究のほか、市民参加による「よさこい祭り」と地域活性化にも関与している。著書多数。
韓藍(からあい)とは
『韓藍異聞』の韓藍(からあい)は、朝鮮半島の古称。韓藍のほかにも韓紅(からくれない)という呼び名もありました。
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