韓藍異聞

2011年05月20日 タルトンネの下宿生活

1972年当時は、まだソウルの中心部や北村と呼ばれた地区には、瓦屋根の伝統的な韓屋チプがたくさん残っていたし、少し緑の多い地区には日本の統治時代に財をなした人たちの豪壮な住宅も見られました。延世大学からほど近い地区には、すでに新興成金の住宅が集まった地区もあって、エレベーター付きの家もあると聞いて見物に出かけたこともあります。これを泥棒村と呼んだりすることもあったようで、国の財産を盗んだというのでしょう。
一方、ソウルの中心に近くでも少し山手の斜面や、川の土手や鉄道の線路沿いには、不法居住地区いわゆるタルトンネが随所に見られました。いずれも地方から移ってきた人たちの居住地で、斜面にへばりつくようで外観はみすぼらしいのですが、向上欲のある堅実な生活を垣間見ることができました。

ソウルでの語学研修期間、私が下宿したのは延世大学の正門の向かい側、鉄道に沿って幅50メートルぐらいで細長く延びる不法居住地区でした。今では道路が拡張されて跡形もなくなり、バスの停留所のようになっています。かつてそんな住宅街がそこにあったことを知る人も少ないでしょう。
細い路地の両側に連なるように粗末な家が並んでいて、大雨が降るとその路地を流れ下るし、足元ばかりに気をとられると、低く突き出した庇にぶつかりそうになるような所でした。一日中歩き回ってようやく見つかった下宿でしたし、疲れ果てていたのでそれ以上探す気力も失せていました。隣の部屋にコロンビア大学のケンドールという人類学科の学生が下宿していて、彼女もソウル大学の李杜鉉先生を頼って来ていたのでした。彼女は後にアメリカにおける韓国シャマニズムの研究者として世界的に知られるようになり、今もスミソニアン博物館のキュレーターを務めているはずです。
下宿の主人は主人を亡くした後、母一人で子供三人を連れて、江原道の内雪岳という山村から出てきたのでした。

鉄道沿線のこうした不法居住地区は、裏側に塀がないため不用心で、列車だけでなく線路端を歩いて泥棒も来るそうです。犬を飼っているのはそのためで、線炉端を人が近づくたびによく吠えるのです。犬は夜起きているのが務めで、いくらでも昼寝できるのですが、人間はうるさくてよく眠れないし、昼寝をするわけにもゆきません。それに加えて蒸気機関車というものは、はるか遠くでも地面を伝って地響きが始まります。徐々にそして限りなく近づいてきて、もう通り過ぎてほしいと思ってもさらに近づいてきて、頭の上を通るように地響きを立てて通り過ぎるのです。昼間は、信号の具合で徐行している時窓から覗くと、タラップに座っている人の足が見えたりします。

朝は早くから向かいの下宿生が目の前でラジオを鳴らしながらボディビルをやって睡眠を妨害します。韓国の男性は、こうもしてまで身体を鍛えなければならないのかと思いました。アメリカ人も騒音に鈍感なのか、自分たちも深夜に部屋の前で水浴びをするたびに、背が高い分だけ水しぶきの音を立てて、やはり睡眠を妨げます。つくづく日本人は騒音に弱いと実感するのでした。

タルトンネでの下宿生活は、農村に住み込む前の身体こなしのつもりでしたが、後に都市人類学を学んだ時、メキシコ市やリマの不法居住地区の生活を理解する上で貴重な体験となりました。

プロフィール

写真:伊藤亜人(いとう・あびと)伊藤亜人(いとう・あびと)
1943年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科、同大学院社会学研究科修士を修了。70年より東大教養学部助手。その後、ハーバード大学客員研究員、東京大学助教授を経て、ロンドン大学SOAS上級研究員、ソウル大学招聘教授、東大大学院総合文化研究科教授。現在、早稲田大学アジア研究機構教授。71年から、韓国を中心に東アジア諸地域の調査研究に従事。済州島、全羅南道の珍島、慶尚北道の安東、ソウルにおいて親族組織、信仰と儀礼、契などの相互扶助組織、農村振興とセマウル運動、儒教と教育、歴史認識、都市移住、祝祭の創造と地域活性化などの研究を行う。医療人類学、都市人類学、開発人類学などの応用人類学ないし実践的な研究のほか、市民参加による「よさこい祭り」と地域活性化にも関与している。著書多数。
韓藍(からあい)とは
『韓藍異聞』の韓藍(からあい)は、朝鮮半島の古称。韓藍のほかにも韓紅(からくれない)という呼び名もありました。
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